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プアアリ松尾社長に聞く「僕がハワイアンジュエリーに魅せられた理由」

日本最大の売場面積を誇るハワイアンジュエリーショップ「プアアリ」の松尾琢磨(代表取締役)に、ハワイアンジュエリーの魅力、歴史、現状などについて、普段は聞けないお話をたっぷりと伺いました。

今、ジュエリーの職人になってはいけないと言われた

――松尾社長がジュエリーメイクを志したのは何歳ですか?

松尾: 17、18歳くらいですか。なんだかモテそうな気がして(笑)。僕らくらいの年齢だと、指輪やネックレスをする感覚はあまりないですよね。高校生ぐらいでたまにネックレス着けている奴がいると、すごく格好良くて、オシャレに見えましたね。それが作れたら、だからすごくモテるんじゃないかと思いました。もう、超・安易ですよ。

そのころ、「今、ジュエリーの職人になってはいけない」と言ってくれた人がいました。「作れるだけじゃ食っていけない。ちゃんと作った物を売っていく営業力も身につけていかなきゃいけない。まず営業を学びなさい」。そこで、営業の勉強のために体育会系バリバリの会社に就職し、その傍らジュエリーメイキングを続けていました。その会社では27歳まで営業をやりました。

学校(ジュエリースクール・ジュエリーCAD専門学校 ラヴァーグ)は17年前、お店は10年前に目黒で立ち上げました。いろいろな会社のデザイン画を貰ってきて、それを指輪として立体に仕上げていく下請けの仕事でした。名もない僕が自分でブランド作るなんて、初めは全然考えていません。ただ、技術がついてくると、教えてほしい、技術を習得したいという人が集まってきたので、学校もやってみようということになりました。思ったより生徒さんも集まってくれて、おかげさまで下請けの仕事も順調だったわけです。そうすると、だんだん野望が湧いてきた。

お客様がみえると緊張する日々

松尾: そのときはまだ下請けの仕事を続けていますから、デザイン画も「ここは、こういうふうに直した方がいいですよ」とデザイン画のアレンジをしてあげると売れる。「松尾先生のおかげで、あの商品すごく売れましたよ!」とお礼を言われると、鼻高々でね。父親ほどの年齢の、大メーカーの生産管理部長さんから「松尾先生、いつもお世話になっております」なんて言われて、「俺ってすごい!」と勘違いしてしまった。それでもう、「俺がオリジナルブランド作ってお店出したら、すごい売れちゃうんじゃないの?」なんて思ったわけです。それで、10年前に恵比寿に今のお店プアアリを出したんです。

なんでも作れる自信はあったけれど、でも何を作ったらいいか分からなかった。何が売れるのか、わかりませんでした。僕の意識はアーティストではありませんでしたね。デザイナーさんがデザイン画を上げてくれればガンガン作ります!というだけで、ここにお店を出したんです。だから全然売れない。お客様も来ない。

販売の経験がなかったから、お客様がみえると緊張しちゃうんですよ。僕は自分でもお店で「何かお探しですか?」なんて言って店員さんが寄ってくると「いや、大丈夫です」ってお店を出ちゃうタイプなんです。このお店は入り口はひとつしかありませんから、お客様が入って来られると、もう逃げ道はない。だからお店の空気がピーンと張りつめるんです。お客様が帰ってくれるとホッとして、「はあ、帰ってくれた……」。これでは売れるわけがなかったですね。作れるだけでは売れないということを痛感しました。ただ、腕には自信がありましたから、下請けの仕事でお店の赤字は埋めていました。

ハワイアンジュエリーって何?

松尾: 正直なところ、立ち上げる時にはどんなブランドでもいいと思っていました。ハワイアンジュエリーブランドでも良かったし、シルバーアクセサリーブランドでも良かった。お金になるんだったら何でも良かった。「なぜそれを売ってるの?」「このブランドはどういうブランドなの?」と聞かれたときに、「お金が欲しいから」では誰も応援してくれませんよね。家族も友達も、金儲けでは人は協力してくれない。だから、「なぜジュエリーを売るのか」「なぜこのブランドをやっているのか」と聞かれて答えられるようにならないとうまくいかないわけです。

うまくいかなかった時期は、ブランド名も変え、お店の内装も変えました。お金がなくなってくるとどんどんスケールが小さくなって、最後はもう、修理ができるから「指輪の病院」という名のお店にしようかと思ったこともありました。自分でブランドを作って売るなんて無理だと思っていました。

四苦八苦する中で、兄貴も僕も妹もハワイで結婚式を挙げたんですね。20歳くらいからウィンドサーフィンもやってますし、自然とハワイに縁はあったんです。海はタダだし、風もタダ。仕事とは無関係に、気分はいいわけです。プロサーファーやスクールのインストラクターの先生たちを見て、「いつも海に出られていいなあ」と思っていました。そのうち、そんな人たちと仲良くなって、「自然の中で仕事ができて羨ましい」と言ったら、逆に「松尾さんの方が羨ましい」と言われたんです。「だって、俺たち年金も払ってないですよ。プロサーファーになっても車を買えるような収入はないし」なんて言われたんです。でも、「海があるからそれでいいじゃん?」みたいなスタンスで生きている人たちなんですね。それまでは仕事と海はまったく別に考えていましたが、そんな話をしているうちに、自分のマインドに変化が起きてきたんです。

ハワイが本当に好きだったから、ハワイの文化や歴史に触れる機会はありました。たまに、ハワイアンジュエリーの指輪を作ってもらいたいというお客様からのオーダーもあって、だんだん、「ハワイアンジュエリーって何?」って思いはじめたわけです。

限られた土地の中で生きていくことが島国のマインドセット

松尾: 店を始めた当初は、「なぜ仕事をするの?」と考えていました。その頃、最初の子どもが生まれたのですが、父親として、「この子の未来はハッピーであってほしい」なんて考えはじめるわけです。「じゃあ幸せって何?」「幸せじゃないって何?」ということも考えてしまう。そうすると、これからの世界の在り方みたいなことまで気になりはじめるわけですよ。
世界の人口は72億人だけれど、いずれ100億人になることは人口統計学的に決まっています。15年たったら世界人口は15億人ぐらい増えちゃうかもしれない。15億人といえば中国がもうひとつ増える勘定になります。地球のどこに中国をもう一つ増やせるのか。がんばって海を埋め立てて、太平洋に土地を作って15億人をそこに移住させたとしましょう。当然そこの人たちにも食べ物や電気が必要です。先進国と同水準で様々なものが必要になれば、当然、物は足りなくなるでしょう。そして何が起こるかと言えば、紛争リスクや戦争リスクが高まるのを止められなくなるわけです。

9歳の長男はテレビを見ながら「中国って嫌だ」「なんであんなことするんだろう?」と平気で言います。メディアの発する「ネガティブイメージ」がマインドセットされているんです。子供ですら、「中国が嫌い」「韓国ってなんであんな意地悪なことするんだろう」と思っている。でも、それではダメなんですよね。助け合うとか譲り合うとか、本来は世界的にそういうマインドセットをしていかないといけない。戦うなんて、疲れるじゃないですか。

――ハワイの「アロハ」の精神は、そのマインドセットに最適な考え方ですね。

松尾: 本当に、その通りです。そもそも島で生きることは大陸で生きることと根本的に違うと思うんです。島で生きることは、限られた土地で生きるということで、規律正しい民族にならざるを得ません。大陸の人々は元々狩猟民族で、獲物を追って移動しながら生きていきます。この人々は喧嘩しても、広いから二度と会わずに済む。でも島国の民族は農耕で土地に根づくでしょう。3.11の時でも、そこで生きていかなきゃいけないから、みんな譲り合う精神を持たないといけなくなるわけです。だから、世界中がびっくりしたように、暴動も起きずに規律正しく姿勢を貫く。島国の文化では、人を思いやらないと生きていけないんです。「ジェントルマン」という言葉も島国イギリスのものですよね。ニュージーランドも日本のフィーリングにすごく似ている。それは島国のマインドなんですよね。

島はカヌー、カヌーは島

松尾:ハワイには「島はカヌー、カヌーは島」という言葉があります。5、6人でカヌーを漕ぎ出す時に、誰かが、自分だけ水を飲むとかお腹いっぱいになるとか、欲ばってしまうと、他の誰かが生きていけなくなります。カヌーは一人では操船できませんから、全員が生きていないと新しい土地にも行けないし、帰っても来れない。全員が生きる方向で力を合わせないと生きていけないんです。一人だけ水を飲んだら、まわりまわって、自分も死んでしまうわけです。

――島国のアイデンティティそのものですね。

松尾:そうなんですよ。偶然ハワイの島にたどり着いた人たちが自分たちだけで生きていこうとしても、結局、自分たちだけでは元いた島にも帰れない。だから全員を生かそう、というのが島での生き方なんですよね。
地球だって大きな意味でひとつの島と考えれば、誰かが死んで誰かだけ生きるという考えでは、生きられなくなるんです。交通が発達し、世界は狭くなり、密度も上がっています。中国のPM2.5による空気汚染も、日本のニュースだけを見てると「中国の大気汚染ひどいよね? 日本に迷惑かけないでよ」という気持ちになるけれど、一方ではメイドインチャイナの商品を日常でたくさん消費している。日常で使う製品の大半は中国の工場で安く作られたものです。今、中国の子どもたちが、目の前が見えないほどの汚染の中で生きていかなきゃいけないのは、僕らには関係がないことなのか。工場を作って空気や水を汚したことは、僕らにも責任がありますよね。だから息子にも、「お前がこうやって生きてこれているのは、中国の人たちが少ないお金で一生懸命働いてくれているからなんだ」と言って聞かせるわけですよ。テレビで言っていることは嘘ではないけれど、そういう側面もあるんだと。子どもたちのためにも、やっぱりハートから変えていかないといけないんです。

ハワイアンジュエリーの本当の意味

松尾: スタッフたちも、売上が立たないとお給料が出ない、ボーナスが出ないという話をすると、お金のためにジュエリーを売ることになってきますよね。それでは本気で仕事に打ち込めない。ジュエリーを売ればいいというマインドセットだと、売れないんです。意味があり、価値があることにチャレンジしていく意識、ハートが大事なんです。

これからの世界や日本の在り方を考えながら、ジュエリーを作る僕たちはどんなことに取り組んでいけるか。そんなことを考えはじめた時に、「ハワイアンジュエリーって何?」という疑問が浮かんできた。勉強してみると、ハワイには「リリウオカラニ」という女王がいて、彼女がイギリスに行ってジュエリーと出会って感動して真似をして作らせた、という歴史があるらしい。「誰が最初にそう言いだしたんだろう」「情報ソースはどこなんだろう」と考えて、もっと深く調べていくと、また異なるソースも見つかるわけです。気がつけば、ジュエリー文化の中心はヨーロッパではないわけです。だとしたら、ハワイアンジュエリーのルーツは本当にイギリスでいいのか。
ハワイアンジュエリーは夏のもの、海好きな人が身につけるものという思い込みがあることもわかってくる。普通の人はしないと決めつけていたんです。実際には、ハワイの人たちは、冬や秋にはジュエリーを外すのかといえば、一年中身につけているんですね。季節感なんてすっ飛ばしているんです。

誰しも、家族や仲間や子供たちが幸せでいてもらいたいと願っています。それは全員共通のパワーです。そこには季節感なんてない。冬だって家族は大切にしたいと思うわけですから。それを、旅行会社のマーケティングのせいでハワイのカルチャーを限定してしまっていたんですよね。緩やかに本当の意味を広げていければ、世界の形も意味も変わってきます。「韓国、中国ふざけるな」という薄っぺらいところで戦う選択肢ではなく、少しでもわかり合っていかなければいけないのではないか。その方が建設的ですよね。

いま流布しているハワイアンジュエリーの歴史は、一面でしかない

松尾: 僕はずっと、ハワイアンジュエリー業界を最大化したいと考えています。でも、他社を批判したり貶める言葉で言い合うような感じになってしまうのは美しくないというか、疲れるわけです。人を攻撃している人は、自分では感じないかもしれませんが、味方にしても疲れるんです。人は、本当に優しい人のそばに集まってくるものなんですよね。

ハワイアンジュエリーの歴史にしても、イギリスに憧れた女王がイギリスで感動して戻ってきて、真似して作らせたというようなことが巷間に流布しています。僕としては、そうした一面的な歴史認識をひっくり返すのがいいことか悪いことかと考えてしまう。ハワイアンジュエリーの歴史について、今でもそのようなことを言いきっている人がいて、サイトに書いてあったからそういうものだと拡散してしまっている。根拠もなしにですよ。同じように、ハワイアンジュエリーは夏のもの、海のものと限界値が決められてしまっています。
でも、昔の人たちが本当に伝えたかったのは、自然に対する感謝の気持ちを忘れてはいけないということです。それは夏だけのものではないはずです。ポリネシア文化圏の様々な模様がなぜ生まれてきたか。刺青から派生した文化は、決して夏や海が好きな人たちだけのものではない。文字がない時代から、大切なこととして1年を通して忘れないように子供たちに伝え、未来に伝えていく方法が、ジュエリーだったんです。そうした原点に立ち返り、そうしたマインドに共感してくれる人を増やしていかないと思います。

例えば、絶滅危惧種を守っていくとか、壊れていく自然を壊さないようにするとか、僕が口はばったく言うような話ではないと思いますが、幅広く知ってもらいたいと思いますよね。地球温暖化で土地がどんどん飲み込まれていく国々の人たちの生活とか……。ハワイが好きな人たちやフラが好きな人たちは、それを他人ごとではなく自分のこととして取り組んでいかなければいけないという姿勢に共感してくれるような気がするんです。結局一番大事なのは、ハートの問題です。

プアアリブランド外でも修理に対応するのがハワイアンマインド

松尾: 「ハワイの自社工場で作っている」「ハワイで買いつけている」というお店はよくありますが、ハワイのどこの場所、どこにある工場で作っているのかをきちんと特定できるようなところはほとんどないんです。 確かにハワイに工場があっても、そこでは様々なブランドを作っている場合が多い。つまり自社工場ではなく、自社契約工場なんですね。しかも、そこで働いているのは韓国や中国、ベトナムの人だったりします。
もっと言うと、中国で作ったものをハワイに持っていき、日本人のバイヤーがそこへ買いに行って、それで「ハワイに直接仕入れに行っています」というようなお店もあります。そういうところは、例えばサイズが変わったからと修理を受けてくれるかというと、できないんですよ。実際に彫れないとそれはできない。

――プアアリにジュエリーの修理を持ち込まれることはありますか?

松尾:それはもう! たくさんのお客様が修理を依頼されています。「プアアリブランドではないジュエリーでも直してもらえるんですか?」と聞かれます。もちろんOKです。お客様と本当に長く付き合っていくには、自社でサポートができる環境を持たなければいけないんです。
ただ、いま話したようなことはあんまり建設的ではありませんよね。ハワイで作っていれば全部ハワイアンジュエリーと呼べるのか、ハワイで買い付けているからハワイアンジュエリーなのか、それともハワイの人が作っているからハワイアンジュエリーなのか。その答えは簡単ではありません。

――ハワイアンジュエリーという言葉の中にこめられている本質は、一体何なのでしょうか? 

松尾: 僕は、文化だと思います。例えばハワイの人がドクロのリングを作ったら、それはハワイアンジュエリーなのか。違いますよね。ではハワイの人が日本でハワイアンジュエリーを作ったらどうなのか。実は、環境やモチーフではなく、ジュエリーにこめられたものが文化的なるものであることこそ、ハワイアンジュエリーの本質なのではないかと思います。


松尾琢磨(まつおたくま)プロフィール

平成11年、目黒にて宝飾生産における最新設備を使いこなす事を目的とした工房を設立。のちにLavagueを開校。伝統技法の枠にとらわれずいち早くジュエリーCADの重要性などを後進に伝えていく環境を整えた。自ら店舗経営・ネットショップ経営を通じて得た経験をもとに、起業・独立を視野に入れた宝飾業界の若手を育成するカリキュラムを構成し、若手のみならず、宝飾メーカー・小売店など、現場ですでに活躍しているクリエイターたちからも支持を得て、現在のラヴァーグの発展につながっている。自らも数少ないHawaiian Engraverとして、数々の実績を誇る。
当サイトでも「ハワイアンジュエリー 文化と本当の歴史」を連載中。