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ハワイアンジュエリーのモチーフの源流~ネイティブハワイアンの信仰

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ハワイアンジュエリーを知るには、ネイティブハワイアンの方々の歩んできた歴史や文化、信仰について知る必要があります。
なぜハワイアンジュエリーのモチーフには、一つ一つに魅惑的で神秘に満ちた意味や言葉が用いられているのでしょうか?

ネイティブハワイアンの人々は、一体何を信じ、どんな文化を築き、生活してきたのでしょうか?
もともとポリネシア系の移民であったネイティブハワイアンの人々は、ハワイの地において独自の宗教を形作っていきました。
それはキリスト教やイスラム教といったように一神教ではなく、自然から人間に至るまで森羅万象の中に神々が宿っている、というオリジナリティー溢れる宗教概念から成り立っていました。
ネイティブハワイアンの人々はこの世のすべてのものに神が宿っている、と考えてきました。
その信仰の世界を覗いてみると、世界中のあらゆる古代から続く思想や宗教、現在のスピリチュアル系の世界観まで及ぶ、人類の英知の結晶のような先進的な宗教観に驚かされます。

そんなモチーフを彫り込んだハワイアンジュエリーは幸運を運んでくれるものとして、また災いから身を守ってくれるものとして、数多くあるモチーフの中から選びオーダーするカップルや若い方が増えているそうです。
現代は癒しが必要な時代ですから、その人気も十分理解できますよね。

今回は、古代ハワイより伝わってきた神話や、ネイティブハワイアンのこれまでの信仰の在り方をご紹介しましょう。

目次

ネイティブハワイアンに伝わる神話の数々

ハワイには神話を表す叙事詩クムリポ(kumulipo)があります。クムリポとは「生命の源」というハワイ語で、混とんとした世界から始まる壮大な叙事詩です。
まるで旧約聖書のようですね。

hawaii_13_02クムリポは叙事詩ですから、物語やストーリーではありません。
チャント(詠唱)という形式の2,000行にも及ぶ詩で、王家の人々に伝承されてきました。
その歴史は1700年以上に渡ると言われていますが、はっきりしたことはわかりません。
19世紀終盤、ハワイ王朝第7代王カラカウアの命令により、詠唱形式のクムリポを文字に置き換え、書物に著し、それをカラカウアの妹でイギリスと縁の深かった最後の女王として有名なリリウオカラニが英訳したことで、その神秘的なクムリポの世界が欧米に伝わり、人々を驚かせました。
旧約聖書に似ている部分もありますし、日本にも古くから伝えられる素朴な信仰によく似ている部分もあります。
クムリポの中には空の神、海の神、山の神、動植物の神、食べ物の神、それぞれの家に宿る神といった様々な神様が出てきます。八百万(やおよろず)の神を崇拝する日本人の信仰に似ていると思いませんか。

タロイモはハワイアンの兄弟

hawaii_13_03クムリポの中でもひときわユニークで、南国のハワイらしいと思わせるものがあります。
父なる空、ワケア神と妻との一人目の子供は未熟児だったうえ死産でした。
その子の遺体は家のそばに埋められたのですが、そこからタロイモの茎(ハロア)が生えてきたそうです。
それにちなんで第2子はハロアと名付けられ、無事健やかに成長し、ネイティブハワイアンの始祖となったという神話があります。
タロイモは南国では主食とされていますよね。
稲穂を神に捧げてきた日本と同様、主食とされるタロイモも神様の子供で自分たちの祖先だったという思想は非常にユニークで、また深い信仰心が伺えます。
クムリポにはこのように様々な言い伝えが集められています。

信仰と癒しの関係

hawaii_14_01古代ハワイからハワイ王朝滅亡の19世紀まで、ハワイアンの癒しの概念は信仰と強く結びついてきました。
病気やケガに苦しむ人には酷ですが、病気やケガは過去の行いが悪かったために神様が罰として与えたもの――長いことそう信じられてきました。
神の許しがなければ病気も治らないうえに、心の平安ももたらされない。すなわち心身の癒しは神様次第である。
神様からのご加護を得られれば、いかなる癒しも病気の治癒も得られるもの。なぜなら神が万物をつかさどる存在なのだから。そう考えられ、信仰されてきたのです。
古代のどの国の文化もそうであったように、古代のハワイでも信仰と病は一体化したものとして捉えられていました。そうした考え方のもと、現代の医師にあたるカフナと呼ばれる人々が、「祈祷=治療」と捉えて病気に対する治療をスタートさせたのです。
祈祷、すなわち神への祈りのパワーは癒しのパワーである。そう考えられ、医療がある程度発展しても、どんな薬草も施術も神への祈りなくしては何の力も持たない。そう信じられてきました。
日本でも平安時代、炎を囲みながらたくさんの僧侶が、身分の高い人の病気治癒を願い祈祷している姿を時代劇などでよく見かけますね。やはり共通するものが、何かあるのでしょうか。
カフナは医師というよりは祈祷師、と解釈されることも海外では多いようです。しかし厳密に言うと、カフナとはそれぞれの専門職というハワイ語で、特に有名なカフナが病気を祈祷し、同時に薬草を煎じ治療にあたったという逸話が特に有名だったため、古代のハワイの医師は祈祷師、そして「祈祷師」イコール「カフナ」となったようです。
このように病気とのつながり一つとってもハワイの人々の神への信仰の強さや畏怖の念が伝わってきますね。

階級制度の存在

hawaii_14_026世紀から7世紀にかけて、ネイティブハワイアンの人々はカヌーに乗ってポリネシア諸島からハワイ諸島に移住してきました。
ポリネシア系の人々にもともと宗教概念があったかどうかは定かではありません。ですが、ハワイで生活を始めたのとほぼ同時期から、オリジナリティー溢れる宗教に基づいて暮らしてきました。
古代ハワイは、王族、カフナと呼ばれる専門職、農民や漁民、奴隷、の4つの階級に分かれていました。
王族は生まれながらにして人間の姿をした神、つまり現人神(あらひとがみ)として扱われていました。
王族は世襲制であり王族に生まれたものはすべて神の化身であって人ではない、と古代ネイティブハワイアンの人々は考えていたそうです。
カフナは特殊能力を極めたスペシャリストの集団として、農民や漁民、一般の人々は比較的平和に暮らし、奴隷は過酷な肉体労働を強いられていました。
古代ハワイは争いが絶えず、1700年代にカメハメハ大王に統一されるまで、戦国時代のような乱世が続きました。
ですので、戦いに敗れた捕虜が、その後最下層の奴隷として扱われていったようです。
また神の掟(おきて)に背くような行為を行った者も奴隷階級に落とされたそうです。
奴隷階級の人々はしばしば神に捧げる生贄の対象にもなりました。
また男女の差別も激しく、女性は聖なる領域には絶対に近づいてはならない――そう決められていました。
聖なる領域は何も神殿や祈祷をする場所に限らず、男性しか作ることの許されない作物の畑などにも女性は立ち入ることは許されませんでした。
また食事も男女別々に食べていたそうです。
古代ハワイの宗教は神秘的で高度な思想を持つ反面、厳格で時には残酷な面もあったのですね。

カフナの存在

hawaii_14_03それでは王族に次いで2番目に位の高かったカフナと呼ばれる人々についてご紹介しましょう。
カフナと一言で言っても、彼らは様々な役割を担っています。
宗教色はもちろん強いのですが、神官、医者、職人、建築家、占い師、教師などもカフナと呼ばれました。
彼らの共通点はマナと呼ばれる、神がこの世に授けたあらゆるエネルギーを操ることができる、という点でした。

カフナの中で最も位(くらい)が高かったのは神官でした。
その中でもカフナ・ヌイと呼ばれる人は部族の中でも長老、顧問のような役割を担い、その言葉は絶大な権力を持っていたと言われます。またカフナ・カウラと呼ばれる神官もおり、ヌイよりは下の位でしたが預言者として王族をはじめ一般の人々の信頼は厚く、またその予言は非常に高い確率で的中したと言われています。

医者としてのカフナも有名ですね。
ネイティブハワイアンの人々の文化が非常に高度だった点は、この医者の役割を担ったカフナは、身体の病だけではなく、心の病をも同時に直す力を持っていたというところです。病状を正確に診断し、必要なら薬草を煎じ、心の病ならヒーリングや現代のカウンセリングのような行為も行っていました。

職人や建築家などのカフナも普通の建物を作る人々ではなく、多くは神殿や儀式の際に使う祠のような建物、また王族が住む宮殿などを作る人々でした。
中国で発展した風水のような考えも取り入れており、その知識の深さには感心させられます。
また呪術師の役割を担うカフナもいました。
彼らはいわば霊力でもって、敵方の総長なり王を暗殺する、そんな闇の部分を引き受けていた集団でした。

カフナを祈祷師と訳す古代ハワイの研究家は多いそうですが、よくよく文献等を見てみますと、マスターという表現がより近いのではないか、という印象を受けます。
カフナは何も祈祷するだけの存在ではなく、その道を究めた者を総称する呼び名であったからです。

カフナは王族を支え人々からの尊敬を集める存在でした。
今に伝わるハワイアンジュエリーの、宗教色の強いモチーフの数々はこのカフナたちによって伝承され、大切に扱われ、それがネイティブハワイアン全体に広がったようです。

神から選ばれし存在カフナ

hawaii_15_02上で紹介したように、古代ハワイはカプと呼ばれる4つの階層に分かれていましたが、その中の王族に次いで2番目に地位が高かった、カフナという人々が、どのように選ばれ、修行を積んでいったのかをご紹介しましょう。

王族と違い、カフナは世襲制ではありませんでした。まれに優れた霊的資質が遺伝し代々カフナを輩出した家もありました。しかし、ほとんどは偶然生まれ、その才能を小さいときから見出された人々がカフナの卵として教育され、研鑽を積み一人前のカフナとなっていきました。

カフナの卵たちは大体3歳ぐらいで、それぞれの方面の才能で頭角を現し、その集落一帯で噂になり、注目を浴びる存在の子供たちでした。それを聞き付けた、すでに立派なカフナとして活躍している人たちが、実際に見に行き、才能があると認められた子供たちだけが選ばれ、その後20年以上の修業を積み、カフナとして世に出ることを許されたそうです。

選ばれた子供たちは、まず【マナ(mana)】と呼ばれる、この世のあらゆるものに宿る神のエネルギー、東洋では「気」と呼んでいるものを操れるようになる訓練、それと【プレ(pule)】と呼ばれる神への祈りの仕方をマスターすることから始めました。

マナプレを自由自在に操れることがすべての基本になり、その上で医師なら医術の勉強、神官ならあらゆる祭儀を執り行う勉強、職人ならその技術の勉強と専門分野に移っていったそうです。

現在の大学が1,2年生で幅広く教養を身に着け、3,4年制で専門的な勉強をする過程に似ていますね。

ですがカフナになるための修業は非常に厳しく、修業の途中で師匠へ質問することは一切禁止され、説明も一切受けなかったそうです。弟子であるカフナは師匠の技を近くで見て、見よう見まねで身に付けていきました。

一昔前までの日本の職人を育てるときの教育に、非常に似ていると思いませんか。
カフナは一生が勉強の連続、と考えられ、それに耐えられないようなら一人前のカフナになることはとうてい無理、と考えられていたからだそうです。

あまりにも有名なハワイ語の【アロハ(aloha)】。
実はこれは文字の一つ一つがカフナになるための頭文字をとって一つの言葉になったそうなのです。それは注意を払う、統一する、真実、謙遜、忍耐

このすべてがカフナになるための素養として何よりも尊重されました。

歴史に大きな影響を与えたカフナ

hawaii_15_03このようにカフナが様々な専門技術を生業とする中で、最も有名なカフナはヘヴァへヴァではないでしょうか。

彼は神官のカフナの中でも最も地位の高いカフナ・ヌイでした。

彼はカプと呼ばれる身分制度をハワイに持ち込んだパーアオの直系でありながら、カプ制度を廃止しました。また、1819年に初めて女性として摂政になったカアフマヌと共に、神殿や寺院、偶像や彫刻などを廃棄し、本来の自然の中にすでに神が宿っている、という信仰を取り戻しました。

またその時彼と行動も共にしたカアフマヌも、それまでの女性にことさら厳しく、またちょっとした過ちでも命でもって償うカプ制度に疑問を抱き、自ら罪を犯しても神から何ら罰も受けないのだということを、身をもって証明し、それまでカプ制度でがんじがらめだった人々を解放したのです。

この二人の活躍以降、今のネイティブハワイアン独特のホスピタリティー溢れる民族性が培われ、世界中の人々が魅了されるハワイという土地が出来上がったのです。

写真協力/プアアリ