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Chapter5「ハワイアンジュエリーの魅力」~ハワイ王国リリウオカラニ女王、苦渋の選択

ここで、アメリカで起きた南北戦争のことを少し書いておきます。

1860年に奴隷制の拡大に反対していた共和党のリンカーンが大統領に当選したのが事の発端です。もともとアメリカ南部では大規模農業を主体とした産業が経済の主軸を担っていました。そして、その大規模農園を運営していく為に、たくさんの奴隷を必要としていたのです。奴隷制の廃止は産業の停滞を招き、経済的に苦しくなることを意味していました。そこで南部の人達は奴隷制を廃止しようという北部の人達と戦うことになったのです。そして、この戦争は4年間も続きました。

実はこのことが、その後のハワイの在り方に大きな影響を及ぼしていたのです。もともと農業が盛んなアメリカ南部で栽培されていたサトウキビなどが、北部に入ってこなくなってしまったのです。戦争になってしまいましたからね。そこで北部の人達はハワイに目をつけたのです。ハワイへ渡り、サトウキビの大規模農場の開発がはじまりました。たくさんのアメリカ資本が入り込み、ネイティブハワイアン達のライフスタイルはどんどん変わっていってしまったそうです。そして、様々なルールもアメリカ式に書きかえられていったとのことでした。

もちろん、そのことをおかしいと感じたネイティブハワイアン達は、アメリカと戦うことを意識し始め、小さな小競り合いが大きな争いの流れに変わっていった時代でもありました。そのうねりの中でネイティブ達が守ろうとしていたのが、ハワイの文化であり、その象徴でもあったリリウオカラニ女王だったのです。しかし、既にアメリカの軍事力や様々な情報がハワイ王室にも届いている中、リリウオカラニ女王は大切な家族や仲間達がアメリカと戦っても勝てないこともわかっていました。しかし、代々受け継がれてきた文化を失うわけにもいかない。

そしてリリウオカラニが取った決断は、イギリスに救いの手を差し伸べてもらうことだったのです。生誕50周年を祝うことはもちろんですが、家族や人々を守る為にイギリスに仲裁を頼みに渡ったそうです。しかしながら、その目論見は実現しませんでした。イギリスは小さなハワイの為に、アメリカとハワイの仲裁に入ってはくれなかったそうです(もっと複雑な理由があったかもしれませんが……)。

Queen Liliuokalani in a black dress Hawaiian Monarchy Hawaii

ふとその時の女王の気持ちになってみました。

このまま帰ってもネイティブハワイアン達とアメリカの戦いを止めることはできない……、
戦ってしまったら大切な人々を失ってしまう……、
イギリスはどうして手を差し伸べてくれなかったのだろう……、
どうすれば、皆を守る事ができるのか……、

僕なら、そんな考えで頭がいっぱいになっているのではないかと思います。同時に、一番の既得権益があったのが王室だったとしたら、自分の地位や権利を保全する為に何をしたらいいのだろう……、などと考えてしまっているかもしれません。

しかしながら、リリウオカラニ女王が今の時代もネイティブハワイアン達に尊敬されている理由は、戦いを止める為に王位を降りることを選んだからです。実はネイティブ達の蜂起の動きはすべてアメリカサイドに筒抜けでした。蜂起する日にはハワイ沖で、アメリカ軍が今か今かと待機していたそうです。もし、リリウオカラニが戦う決断をしていたら、そこでハワイ文明は途絶えてしまっていたかもしれません。インカ文明やメキシコ文明が、スペインやポルトガルなどと戦う決断をして滅ぼされてしまったように。

このような背景がある中、僕の中のリリウオカラニ女王はとてもヴィクトリア女王のジュエリーの真似をする心境ではなかったのではないか……と思いました。そして、前に引用したフィリップリカード氏の本に出会ったことで、また別のハワイアンジュエリーの歴史があることを確信したのです。

<Chapter6へ続く>(文・松尾琢磨)