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ハワイの歴史とは切り離せないハワイアンジュエリーの歩み

ロマンティックで神秘的なハワイアンジェリーがにわかに脚光を浴びています。

ネイティブハワイアンが古くから信仰し、大切にしてきた植物や自然をモチーフにしたハワイアンジュエリーは、ほかのアクセサリーとは違う趣があり、持っているだけでパワーをもらえる、そんな特別なものです。
モチーフを刻みこむのはもちろんですが、ロマンティックな意味を持つハワイ語をさらに彫る方も多く、マリッジリング(結婚指輪)やエンゲージリング(婚約指輪)としてオーダーするカップルも多くなってきました。

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ハワイアンジェリーの一例です。
ネイティブハワイアンの方たちが大切にしてきたモチーフを刻みこむアクセサリーと聞いていた方々は、ヨーロッパの香りさえ漂わせる優美なデザインに驚かれたのではないでしょうか?
それもそのはずです。
ハワイアンジュエリーとヨーロッパの文化は深い結びつきがあります。
それはハワイアンジュエリーの歴史を紐解くとよくわかります。

ハワイ王朝と歩んできたハワイアンジェリーの歴史

ハワイ諸島を発見したのはキャプテンクックとして有名なイギリス海軍士官ジェームズ・クックでした。
彼は1778年、ハワイ諸島を初めて訪れ、サンドイッチ諸島と名付けました。
ハワイ王朝はそれからハメハメハ大王がハワイを統一して、それまで民族同士の争いが絶えなかったハワイの島々を平和な王国へと導いた時から始まります。1795年のことでした。

それからハワイ王朝の歴史は19世紀まで続きます。
キャプテンクックの発見により、ハワイには商業の発達による人の行き来などによってもたらされた、ヨーロッパの文化が色濃く顕われるようになりました。
1850年に宣教師によって伝えられたキリスト教もその一つです。
ハワイは18世紀後半からわずか100年余りの間に急激な成長を遂げ、産業革命の波にのまれていきました。

キャプテンクックに発見されてから19世紀初頭まで、欧米列強の植民地拡張と覇権主義により、次第に白人勢力が台頭してきます。
ハワイ王朝は実権を握ることから象徴としての王族と化し、1889年にはアメリカ政府がハワイを事実上保護国化する条約を提案してきます。
そんな中、1892年、美貌で名高かったハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニが即位し、彼女は象徴化された王族の持つ特権を大幅に回復させるよう新憲法布告のユン美を進めましたが、白人一派に計画が漏れ、女王はクーデターによって幽閉されてしまいます。
白人一派は臨時政府を設立し、女王に降伏を迫り、その後リリウオカラニは一市民となりました。
そんな屈辱的な歴史がハワイ王朝にはあったのです。

ハワイの歴史とジュエリーの歩み

ハワイ王朝は1850年ごろからキリスト教をハワイ諸島の正式な宗教として受け入れました。
ハワイの原住民としての血や伝統を受け継ぎ大切にしながらも、女王はヨーロッパの文化の影響を非常に受けた人物でもありました。
ハワイアンジュエリーのルーツをたどると、リリウオカラニ女王とイギリス皇室との深い繋がりに由来します。
彼女は女王時代イギリスを訪れる機会があり、その文化に非常に感銘を受けたそうです。元々信仰深かった彼女はイギリスの持つ文化からインスピレーションを受け、亡くなった家族の名前を彫りこんだり、神秘的な言い伝えを持つ自然の柄を施してお守りとして着用したことが、現在のハワイアンジュエリーの基礎を作ったといわれています。

彼女の影響で、市民権を持ったハワイアンジュエリーは、ネイティブハワイアンの人々の間で、ハワイの土地で信じられきた伝説や、信仰の対象となってきた動物や植物をモチーフとして彫り、病気や魔よけ、獣から身を守るものとして身に着け、愛し、大切にしてきました。

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一度作ると祖母から母へ母から子へ、というように代々受け継がれ、家宝として大切にされてきました。
ハワイの大自然の影響を受けながらも、同時にヨーロッパの文化の影響もうけたハワイアンジュエリーは独特の発展を遂げてきました。
繊細で美しい唐草模様のような彫刻はヨーロッパからの影響でしょう。
その中にハイビスカスや、プルメリア、波や亀など、ネイティブハワイアンの人々が信仰してきたモチーフを巧みに取り入れたジュエリーは何とも魅力的で世界中の人々を惹きつけてやみません。

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写真協力/プアアリ