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Chapter4「ハワイアンジュエリーの魅力」~いったいネイティブハワイアン達はどこからやってきたのか?

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 ハワイの歴史とはいったいいつから始まっているのか? 実はこれは諸説あります。有史以前にポリネシアから移り住んだ、ペトログリフなどの古代絵の炭素測定では西暦500年頃だったのではないか……などなどです。炭素測定で分かるのは、絵が描かれた年代であって、移り住んだ年代ではないので、少なくても西暦500年よりも前にはたどりついていた可能性があります。

ちなみに、僕が4歳ぐらいのころにアメリカの生誕200周年の記念行事として行われた実験があります。当時の造船技術を使い当時の船を作り上げ、当時の操船技術で本当にポリネシアからハワイへとたどり着くことができるのかという実験です。船の名前はホクレア号といいます。実際にたどり着くことができたそうです。ただし、この実験はアポロ11号が月に着陸した6年も後に行われていることと、既にそこに島があるということを知って向かっていくのと、そこに島があるのかどうかも分からずに向かっていくのでは全然環境が違います。

恐らく、はじめてハワイにたどり着いた人達は、とても過酷な試練を乗り越えてたどり着いたのではないかと想像できます。小さな小さな船で数人が食べ物や飲み水を分け合い、ゆずりあってなんとかたどり着いたハワイの島々です。そしてたどり着いた後も互いに助け合いながら、歴史を積み重ねていったのだと思います。

僕が注目したのはファーストハワイアン達のルーツは、タヒチなどを含むポリネシアの人達であったということです。そして少し視点をポリネシア文化史に目を向けると、そこには様々な紋様が散らばっていたのです。今でもポリネシアを含む環太平洋文化圏では様々な少数部族が存在しています。
そしてその部族毎に特徴がある紋様が伝えられています。
そうです。マルケサス、サモア、タヒチなどで生まれているトライバル模様などの刺青の文化です(トライバル模様とは太平洋諸島の部族が使用していた伝統的モチーフの紋様です。現在は伝統的に使用してきたモチーフでなくてもトライバルというジャンルが確立されています。 様々なモチーフを抽象的かつ幾何学的に黒一色で表現するというのが基本となります=編集部註)。トライバル模様の中には、波の模様など様々な自然に対する畏怖や感謝を現している模様が現在も受け継がれているのです。それはまさにハワイアンジュエリーに彫り込まれている模様につながっていることを確信します。

なぜ、リリウオカラニ女王は
イギリスに行くことになったのか?

ハワイの歴史を紐解いていくと、「リリウオカラニ女王はヴィクトリア女王の生誕50周年記念行事に呼ばれてイギリスに行った」との記述が見受けられます。しかしハワイから地球の反対側にあるイギリスです。本当にそれだけで行ったのだろうか? と疑問がわいてきました。そしていつもの通り、本気で僕は調べ始めました。調べれば調べるほど、リリウオカラニ女王がイギリスに行かなくてはいけなかった理由がはっきりとしてきたのです。

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Queen Liliuokalani in a black dress Hawaiian Monarchy Hawaii

ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公(ザクセン・コーブルク・ゴータ公国王子)が亡くなったのは1861年のことです。実は同じ1861年にアメリカである戦争が勃発しました。南北戦争です。

<Chapter5へ続く>(文・松尾琢磨)