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ハワイアンジュエリーとウクレレの関係

ハワイアンジュエリーとウクレレの関係

ウクレレは、すぐにハワイを思い出すほど象徴的な楽器です。
いろいろなタイプがありますが、大きく分けると、スタンダードウクレレとパイナップルウクレレの2種類の形があります。どちらも60センチほどの大きさです。
スタンダードウクレレは、ちょうどクラシックギターを小さくしたような形、パイナップルウクレレはボディがくびれておらず、パイナップルのような形をしています。
ウクレレは4弦が普通ですが、中には、6弦、8弦、10弦のウクレレもあ、種類もソプラノ、アルト、テナー、コンサート、バリトンタイプがあり、音量も音色も違います。
よく見かけるウクレレは、一番小さいソプラノウクレレで、お値段もお求めやすく、初心者にお勧めの楽器です。

そんなウクレレですが、すぐにハワイを思い浮かべる代表的な楽器と言えます。でも、ウクレレは別の場所で生まれて、海をわたってハワイにやってきたことをあなたは知っているでしょうか?

じつはハワイ生まれではない、ウクレレ

じつはウクレレの源流は、ヨーロッパ、ポルトガルで、19世紀後半にハワイに伝えられました。
当時のハワイ王国は、サトウキビ畑の産地であり、世界各国から移民を受け入れ、その生産を行っていました。ポルトガルからも多くの移民がハワイに渡りました。1820年代は捕鯨が盛んだったため、捕鯨の仕事もしくは捕鯨船相手の仕事をしていました。19世紀後半にには、サトウキビ栽培の入植者や富豪家の召使などの要員として多くのポルトガル人がハワイに移民したのです。

19世紀後半、リスボンの南西にあるマデイラ島から出航した英国籍の移民輸送船レーベンスクラグ号に、421名のポルトガル人移民が乗っていました。ホノルル港に船を出迎えたハワイの人々の前で、故郷の収穫祭のように、新天地への到着を神に感謝して、見慣れぬマデイラの民族楽器を弾いて民謡を歌い、踊った者がいました。
これはブラギーニャという楽器で、紀元前2世紀に今のポルトガルにいたルシタニア人によって作られた古い楽器です。
このブラギーニャに魅せられた人々が自分にも作ってほしいと注文し、同じ船に乗っていた職人が「コア」というハワイの木材を使って故郷の楽器を作りました。
コアはハワイだけに自生している大きな木で、非常に硬く、明るく乾いたいい音がします。昔は家具などにもかなり使われていたそうですが、今ではは絶滅のおそれが出てきたので伐採も制限されているようです。

当時のハワイ音楽といえば、パフードラムを叩きながら行われる儀式「カヴァ・カヒコ」の伴奏に使われるチャンティングが主なものです。独特の抑揚があり、通常の古典フラは、ドラムの代わりにヒョウタンでリズムを刻み、フラを踊っていました。そこにキリスト教の聖歌が入ってきて、西洋の音楽を取り入れた形で、ハワイ音楽文化を形成していました。
ただし、音楽はピアノやオルガンがある教会でしか聞くことができませんでした。
ホノルル港でポルトガル人が披露したブラギーニャは、小さくて持ち歩くことができます。これがあれば、いつでもみんなで集まって歌える。
そんなことから、ブラギーニャは一大ブームになり、改良が重ねられ、ハワイ独自の楽器「ウクレレ」となったのです。

“跳ねるノミ”の音が、超気持ちいい!

「ウクレレ(ukulele)」はハワイ語で、「ウク(uku)」がノミ、「レレ(lele)」が跳ねるという意味です。つまり、「ウクレレ」=跳ねるノミという意味なのですが、このユニークな名前の由来には諸説があります。

ひとつは、ハワイにやって来たイギリス軍人のエドワード・パーヴィスが、ブラギーニャに惚れ込んで、しばしば群集の前で演奏を披露し、喝采を浴びていた姿から来ているという説です。エドワードは小柄で快活だったので「飛び跳ねる蚤」というあだ名がつき、しばしばブラギーニャを弾いて王家を楽しませたそうです。

ブラギーニャを演奏する素早い指の動きが、飛び跳ねる蚤のようだったという別の説もあります。

さらにもうひとつの説は、アメリカに併合される前のハワイ王朝最後の女王リリウオカラニは、UKUには「贈り物」という意味があり、LELEには「やって来る」という意味もあったことから、ポルトガルからハワイへの贈り物という独自の解釈をしていたそうです。リリウオカラニは自身でもウクレレを演奏し、作曲もこなし、「ハワイ・ポノイ」「アロハ・オエ」などの名曲を生み出しました。
当時のデビッド・カラカウア王も、ウクレレを気に入り、自ら演奏したそうです。

こうして、あっという間にハワイの人たちの間にウクレレが広まっていったのです。
その後、1898年にハワイはアメリカに併合されますが、そのころから伝統的なハワイアン・ミュージックとアメリカンミュージックが融合し始めます。コアの美しい木目が特徴的で、1本1本手作りのウクレレは、工芸品としても魅力的なものでした。
1915年のサンフランシスコで開催された「パナマ太平洋博覧会」でウクレレが金賞となり、アメリカにもウクレレが渡ったことで、ハワイアンブームが起こります。当時のウクレレは、現在ではヴィンテージとしてコレクターズアイテムとなっています。

ハワイアンジュエリーと同じように、大切な思いを伝えるウクレレの深い音色

世界各国からハワイに伝えられた楽器はブラギーニャだけではなかったであろうと思われますが、なぜブラギーニャだけが根づき、ウクレレというハワイの楽器になったのか、そこには様々な運命の交錯があったのではないでしょうか。

ハワイアン音楽界のレジェンドといえば、マウイ島ラハイナに生まれ、オアフ島ホノルルで育ち、ハワイアン・ルネッサンスの立役者の一人として、眠っていた19世紀の音楽をリバイバルしたエディ・カマエ氏です。彼は画期的な音楽イノベーターでもあり、コードとメロディを一緒に4つの弦で奏でる演奏スタイルを確立し、リズム楽器としてのウクレレを世に送り出しました。ウクレレが世界中の人々に愛される楽器になったのは彼の功績に負うところが大きいと言えます。

日本でも1920年代にハワイアンブームが起こり、1960年代には牧伸二さんの「やんなっちゃった節」が一世を風靡し、ウクレレが日本中に知れ渡りました。ウクレレといえば、脳裏に浮かぶのはこの曲でしょう。ウクレレにはじめて接するほとんどの人が最初に覚える曲です。
最近では、サザンオールスターズの関口さん、高木ブーさん、ゴンチチ、山口岩男さん、大輪好男さん、ペティーブーカ、つじあやのさんといった一流アーティストたちがウクレレアルバムを出しています。
俳優の竹中直人さん、忌野清志郎さん、渡辺香津美さん、Hi-STANDARDの横山健さん、シャランQのはたけさんなど、ウクレレ好きの芸能人は数えきれないほどです。

「アロハ」や「レイ」と並んで、世界各国語に採り入れられたハワイ語の一つとなった「ウクレレ」。
アロハの心が宿ったウクレレは、人々に笑顔をもたらし暮らしを豊かにしてくれます。神聖なる木ハワイアン・コアから作られるウクレレには、クラフトマン一人ひとりの想いが込められています。ハワイで生きる人々の豊かな心が宿っているという点で、職人がひとつひとつ手作業で仕上げていく、ハワイアンジュエリーにも通じるものがあります。
祖母から母、母から娘へと代々受け継がれ、家族や恋人、友人など大切な人への思いを表現し、大切な思い出を永遠にとどめるハワイアンジュエリーが、ハワイの人々の間で愛され続けているのも、ウクレレを愛する心と同じだと思うのです。